皆さんはHEC Parisというフランスのビジネススクールをご存知でしょうか。
HEC Parisはマーケティングとファイナンスに強みを有する、世界的にもトップクラスのビジネススクールです。また、国家に貢献するトップクラスの人材を育成するための学校、とも言われるグランゼコールは多くの場合国立ですが、HEC ParisとEDHECの2校は私立のグランゼコールでありながら、フランスの国家プロジェクトであるLa French Techと提携するなど、産学官連携の要ともなっています。
実際に、HEC Parisではインキュベーション施設を開設したり、スタートアップ支援プログラムやサステナブル教育に力を入れたりと、学生の起業を強く促進しています。また、卒業生であるHEC Alumniの活躍も目覚ましく、フランスのユニコーン企業の1/3は創業メンバーにHEC Alumniがおり、現地VCのパートナーになるケースも多いことから、HECはフランスのスタートアップ・エコシステムを活性化させる人材や企業の輩出に大きく貢献していると言えます。
Incubateur HEC Parisとは
Incubateur HEC Parisとは、HEC Parisが提供するスタートアップ支援プログラムの中で最も規模が大きいプログラムで、2022年には275社のスタートアップを支援しています。支援対象はHECの卒業生だけでなく、韓国やモロッコなど世界中の野心的なプロジェクトホルダーを対象としており、2022年に支援したスタートアップの共同創業者のうち女性の割合が44%を占めるなど、多様性にも優れたプログラムだと言えます。
プログラム自体は2007年に創立されましたが、2007〜2017年には8,500万€(2007年時の円換算で約130億円)の資金調達、2018〜2021年には5億8,000万€(2018年時の円換算で約750億円)の資金調達を達成しています。パートナー企業であるL’OrealやMetaとはメタバースに特化したアクセラレーションプログラムを展開するなど、STATION Fを拠点とした、企業との提携プログラムにも特徴があります。また、Incubateur HEC Parisの卒業生としては、Luko(独自の保険モデルを提供し、迅速な払い戻しとデジタル化に特徴)やLeetchi(少額のクラウドファンディング用プラットフォームを提供)など計15社のExit実績があります(dealroomより集計)。
このように実績をあげているIncubateur HEC Parisですが、その支援方法としては、個別の企業にカスタマイズされたアラカルト型の支援というところに特徴があります。つまり、プログラム参加企業に一元的で同じ内容の支援をするのではなく、各企業の成長段階や事情に基づき支援内容を変えているのです。企業の状況を確認し、彼らからのニーズをより深く理解するために2週間ごとに45分のミーティングを設けていますが、実際には、それを義務付けてはいません。スタートアップに特定のリソースを強制するプログラムを作成すると起業家たちが求めていることの逆の効果をもたらしてしまう可能性がある、という考えを持ち合わせていることから、基本的にはスタートアップ側がサポートを必要とする時にそれに応えるという形をとっています。必要な時に応えるという支援の姿勢を、「ハンズオン」と「ハンズオフ」に掛けて「ハンズイフ」と表現する日本のVCもありますが、ただ豊富な支援をすればいいというわけではない、という考えは今後VCやアクセラレーター、及びインキュベーターは意識する必要があると考えられます。
さらに、これまで様々なスタートアップを支援してきたからこそ、アルムナイのコミュニティも年々強化されています。先ほどのミーティングを受けた企業は、週ごとに企業に合ったプログラムを組まれていきますが、その時に企業のニーズに応じてHECの教授などの人材だけでなくアルムナイが専門家としてサポートすることもあります。「最高の専門家は、あなたが経験したのと同じことを6ヶ月前に経験した起業家である。」という考えのもと、スタートアップ同士で集団知を作成し、プログラムの卒業生は若手スタートアップに投資をするなど、新たなエコシステムも作り出しています。
日本のスタートアップへの支援
2023年10月29日から11月11日にかけて、経済産業省主催(運営: デロイトトーマツベンチャーサポート株式会社)の起業家育成・海外派遣プログラム「J-StarX フランスコース」がフランスのインキュベーション施設・STATION Fで実施されました。プログラム採択企業の9社は派遣期間中STATION Fに入居し、フランス及び欧州でのマーケット展開や、更なるグロースに向けネットワークを構築します。その間、HEC Parisはプログラム採択企業に講義や事業アドバイス、ピッチのフィードバックといった形で各企業を支援する役割を担いました。
なお、STATION Fについては下記の記事で詳細にまとめていますので、ご参照頂ければと思います。
弊社RouteX Inc. は、11月9日に開催されました、プログラム採択企業によるピッチイベントに参加しました。ここでは、プログラム採択企業にお話を伺うことで見えてきたプログラムの実態の一部についてお伝えいたします。
まず、HEC Parisによる支援としては、Incubateur HEC Parisについて先述した通り、事業アイデアに対し必要以上に改善等を促すわけではなく、各社のフェーズごとのリスクを考慮しながら、状況に適したアドバイスを必要に応じ提供するというものでした。また、例えばCHANELなど、コネクションがないとアポイントを取るのが難しい企業に対し、HEC Parisが代わりにアポイントを取ってくるというサポートもあったそうです。このように、海外現地で支援を受けられるからこそ通常では得られないコネクションを獲得できる点は特に好評で、経済産業省から採択されているという実績がブランドとしても効果を有していると実感したという意見もありました。
また、Incubateur HEC Parisは日本や韓国のスタートアップに注目しており、日本は現在実験段階にあるとの話も伺いましたが、実際に日本の採択企業に対しては講義などもプログラム内容に含んでいたのに対し、韓国企業には講義がない代わりに2ヶ月間に渡ってSTATION Fのスペースを貸し出すというケースもあるそうで、支援方法にも違いがあることがわかりました。
なお、今回のプログラムに対する課題感としては、フランス現地に来る前の準備期間にアポイントを確定しておきたかったという意見や、2週間もの間日本の本社から離れてしまい、時差もあるがゆえに本社との連携が難しかったという意見もあったりと、今後の改善の必要性を覚えるものがありました。日本とフランス間の連携が増していくにあたって、HEC Parisの役割も大きくなってくると考えられるため、日本企業への支援方法の変化や効果などについて今後も動向を探っていく必要があります。
注目のスタートアップ
HEC Patisは近年のサステナビリティ対策について、例えばどの業界でもまずは二酸化炭素排出量を測定して排出を抑えればいい、というような考えは適切ではなく、各業界と製品に特化した基準を設けるべきだと主張しています。製品が農業分野で生物多様性に大きな影響を与える場合であれば、二酸化炭素排出量や農産物に関連する人権課題を考慮するのも確かに大事ですが、メインの課題である生物多様性を優先的に考えることが重要であるという考えです。
そこで、Incubateur HEC Parisに選ばれた企業の中で、サステイナビリティをテーマに、特に筆者が注目したいくつかのスタートアップを紹介したいと思います。
Bene Bono (旧HORS NORMES)
Bene Bonoは、サイズや外観を理由に一般的な流通ルートでは拒否された農作物について販売機会を農家に提供するスタートアップです。従来フードロスは世界的に問題視され対策が講じられてきましたが、その多くは販売後に廃棄された商品や食べ残しに注目しており、消費者から離れた上流の生産段階におけるフードロスについては対応が遅れていました。一方で、生産段階でのフードロスは生産量の内の平均5%に相当するため農家の収入にも影響を与えうる問題であり、また、生産に必要な水やエネルギーも消費されるため、持続可能な農業経営という観点からも今後より一層生産段階での問題に着手する必要があると考えられます。
さらに、Bene Bonoはフードロス対策だけでなく、一般的に高価である有機野菜などを消費者により安価に提供することを目的としています。600を超える提携販売業者のネットワークを活かし、100%フランス産のオーガニック製品を専門店よりも安い価格(最大40%割引)で提供しています。購入方法も容易で、消費者は受け取りたい箱の種類、頻度、受け取り方法(受け取り店舗または自宅)を選択するだけで購入ができます。また、大人数用のセットもToB向けに展開されており、配送コスト及び配送による環境への影響も抑えています。他の取り組みとしては、配送用のバッグに耐久性を高めた再生紙を用いたり、カーゴバイクや電気トラックを用いた配送方法を採用するといった取り組みが挙げられます。
Ryp Labs
Ryp Labsは、生鮮食品の保存期間を伸ばすための専用のステッカーを開発するスタートアップです。こちらもフードロス対策に取り組むアメリカ発の企業ですが、2023年にIncubateur HEC Parisのプログラムに採択されています。2022年に開催された国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)ではTop Global Startupに選ばれ、また、食品廃棄物に影響を与え、より安全で持続可能な食品サプライチェーンを形成するという広範な使命を評価され、Cleantech Groupの年間注目リスト50社にも選ばれました。
当社はStixFreshステッカーと呼ばれる、自然由来で安全な生理活性化合物を用いたステッカーを商品の表面に直接貼ることで、生鮮食品の賞味期限を最大2倍にまで延ばすことを可能にしています。従来は商品を空気に触れないように包装するというアプローチで腐敗から守っていましたが、このステッカーは、蒸気で果物の周囲に保護層を形成し、過熟や腐敗を遅らせる安全な配合物(特許出願中)でコーティングするというアプローチを取っています。また、ステッカーはサプライチェーンのどの段階でも貼り付けることが可能で、独自のブランドやバーコードを表示することもカスタマイズ可能という柔軟性を持ち合わせています。ステッカーは、元の再封可能なパッケージに入れることで最長3か月間保管できるため、ステッカー自体の廃棄も減らすことが可能です。
現在は果物や野菜をターゲットにしていますが、将来的には肉や魚介類、卵、乳製品、切り花などの食品および農業業界全体に技術が応用できるよう開発を進めているため、フードロス対策に大きな影響を及ぼす企業だと期待できます。
Hectarea
Hectareaは、個人による農地への投資を容易にし、農家の持続可能な農業経営を可能にするプラットフォームです。生態学的および農業への影響、生産方法や作物の特徴、収益性の見通しについて専門家によって分析された農地が掲載され、個人はその情報に基づき、投資する土地を選択し、最低500ユーロから投資したい分だけ投資土地面積を設定することができます。農地への投資は経済変動に左右されにくく、実際にフランスの農地価格は過去10年間で年平均で+4%上昇していることから、安定した不動産投資になると言えます。このように、投資家が持続可能な取り組みに貢献しながら安定した投資ポートフォリオを確保できるという、新しい投資スタイルをHectareaは提供しています。
一方で、当然、投資家だけでなく、農家にも大きな恩恵があります。新規の農家は、土地の購入に伴う経済的な負担を減らし、自分の活動に専念することができます。フランスでは農家の50%が今後10年以内に退職すると危惧されていますが、逆に、環境に優しく社会的に責任のある農業の導入を検討している新規参入者が入っていける絶好の機会であると考え、これらの若い農家が地域社会に貢献し、必要な土地を獲得できるように投資家は支援することができます。従来の融資や寄付では新しい農業モデルの実施に必要な資金調達が困難だったため、大規模な資金調達を可能にする新しいソリューションとして、農業者の高齢化が進んでいる日本でも期待できます。
Nelson
Nelsonは、今後企業が保有している車両を電気自動車へとシフトしていくにあたっての計画、展開、運用をサポートし、脱炭素化戦略の具体的な方法を提供するスタートアップです。企業の車両データと充電エコシステムのデータを組み合わせ、AIによりシミュレーションすることで、二酸化炭素排出量や電気代などのモビリティコストを管理し、自社の車両をより効率的に運用できるようパーソナライズされた推奨事項をリアルタイムかつ自動的に提供します。例えば、保有車両数の削減や、用途に適した適切な車両の選択、社内または企業間のカーシェアリングの導入について推奨することで、企業はデータに基づく意思決定をすることが可能になります。
また、マクロの潮流を見てみると、フランスでは毎年発生する温室効果ガス排出量の約3割が道路交通によるものであるため、現在では車両の電動化が必須とみなされています。実際に2013年から2023年の間に電気自動車およびプラグインハイブリッド車の販売台数は70倍に増加しており、今後もこれらの車両の増加が期待されています。一方で、今後電気自動車が増えていく中で、国として必要な電力を供給できるのか、そして、電気代の価格上昇や電力補助金というマクロの外部要因に対しどのように対応を取っていくべきかという問題に企業は直面していくことになります。今後日本でも同様の現象が発生すると考えられる中で、NelsonのようなToB向けに脱炭素化戦略をサポートするサービスは必要となってくると考えられます。
Revive Battery B.V
Revive Battery BVは、鉛蓄電池(バッテリー)の効率を高め、また、使用済みのバッテリーを再生することで最大3倍の長持ちを可能にするスタートアップです。オランダ発の企業ですが、2023年にIncubateur HEC Parisのプログラムに採択されています。鉛蓄電池のバッテリーは太陽光発電や風力発電所、通信塔、自動車、ATMシステムなどのさまざまな業界で用いられていますが、当社のバッテリー再生プロセスでは、アルゴリズムで制御された電気インパルス(人工的に発生させた静電気による衝撃)を使用して硫黄結晶を破壊することで、バッテリーを損傷することなく元の容量の最大95%まで2~3回復活させることが可能です。
実際のサービスとしては、バッテリー再生プロセスを含む包括的メンテナンス及びサポートを提供しています。まず、オンサイトでバッテリーシステムの健全性チェックを行い、個々のバッテリーの状態に関する完全なレポートを提供します。その後、上記の技術により鉛蓄電池を再生し、独自のBMSサービス(充電型のニ次電池の安全制御を行うシステム)を統合することでバッテリーのパフォーマンスをリアルタイムで追跡します。
鉛蓄電池はリチウム電池と比較すると大型で容量が大きく、また、リサイクルが可能で原料となる資源も豊富にあるため安価に安定供給が可能です。それ故今後もインフラ設備等で使われていくものであるため、リサイクルに伴う二酸化炭素排出量及び交換頻度の削減が要される中で、まさに貢献する技術を有していると考えられます。
Arena recycling industry
Arena Recyclingは、プラスチック廃棄物をリサイクルし、環境に優しい建築資材の製造を専門とするスタートアップです。タンザニア発の企業ですが、2023年にIncubateur HEC Parisのプログラムに採択されています。当社の技術によって収集および処理されたプラスチック廃棄物は、従来のレンガよりも軽量で優れた断熱特性を備えたエコレンガに変換します。これまでの建材及びセメントに代わる安価で持続可能な代替品を提供することで、Arena Recyclingはプラスチック汚染を削減し、持続可能な建設の促進に貢献しています。
また、プラスチック廃棄物のデータ収集を改善するためにスマートセンサーとIoTテクノロジーを使用しています。プラスチック廃棄物の種類と量に関するデータを収集するスマート センサーをゴミ箱やリサイクルセンターなどに設置し、データをワイヤレスで中央データベースに送信することで、プラスチック廃棄物のレベルと傾向をリアルタイムで監視できます。
日本では海洋プラスチックは多くの場合様々なゴミが混ざっているため分別が困難で焼却も難しく、そのままリサイクルされずに埋め立て処分されるケースが多いです。レンガの利用それ自体は日本では馴染みがありませんが、海洋プラスチック問題を解決する上で、プラスチック廃棄物を破砕し砂と混合することで新しい建材を生み出す、という発想は日本でも活用できるのではないかと期待しています。
いかがでしょうか。
本記事では、フランスのスタートアップ・エコシステムにおいて、産官学連携の要であるHEC ParisによるプログラムIncubateur HEC Parisの概要と、日本のスタートアップへの支援、サステナビリティに取り組む支援先企業についてご紹介しました。今後、日本の学術界によるスタートアップへの支援増加やフランスとの連携、サステナビリティへの意識の高まりが期待される中で、HEC Parisの取り組みは一つのベンチマークとして位置付けられるのではないでしょうか。
投稿者:柳原 至門
東京大学経済学部金融学科在学(-2024.3)。東京大学大学院農学生命科学研究科 農業・資源経済学専攻 進学予定(2024.4-)。国内VCのIncubate Fundやスタートアップ2社でのインターンシップ経験あり。「官民協働海外留学支援制度〜トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム〜」の第15期生として採択され、2023年9月より、フランスのビジネススクールHEC Parisへ交換留学。留学開始とともにRouteXでインターンシップを開始し、海外カンファレンスへの参加を通じ、海外スタートアップ及びインキュベーターの調査を担当。将来について、スタートアップを中心に行政側として制度設計に携わるか、民間側として投資及び事業支援に携わるかを検討中。
今後もRouteX Inc.では引き続きスタートアップ・エコシステムにおける「情報の非対称性」を無くすため、世界中のスタートアップとの連携を進めてまいります。
RouteXは、
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